新年会で憧れのアイツと急接近

こんにちは、ゲイブロガー(@gay_nazo)です。

 

先日、新年会がありました。

取引先を含めた50人くらいの新年会。

 

陽気な気分で楽しんでいましたよ。

憧れのアイツもいたからね。

 

お酒の力も借りつつ、積極的にアプローチ。

といっても、同じ席で話をする程度だけれど。

 

居酒屋の4人掛けベンチ。

隣同士で座っていたら、既に4人座っているのに先輩が5人目になろうとしている。

窮屈な空間に、ぐいぐいと押し込められているのだ。

 

隣にはアイツがいる。

僕は「やめてくださいよー」と言いつつも、心の中では、ちょーハッピー。

相当テンションが上がっていた。

 

ゲイの気持ちって複雑なところがある。

相手がゲイだとわかっているなら、積極的にアプローチできる。

相手がノンケ(=ゲイじゃない男性)だと思っているなら、積極的にはアプローチできない。

 

ノンケに恋をしたり、イケメンのノンケがいたりすると、ドキドキする。

それは、中学生の恋愛みたいに。

ゲイであれば、甘酸っぱい恋愛をおっさんになってもすることができる。

 

恋愛初心者のような、積極的にアプローチできない自分がもどかしくて。

でも、そんな押し付けられた環境も実際に好きだったりする。

 

ボーイズラブ漫画の良いところも、そのピュアな、もどかしい恋愛にあるのだろう。

婦女子の気持ちはとってもよくわかる。

 

告白するときの勇気、嫌われてしまうかもしれない不安。

そういったものを、おっさんになっても感じることができる。

 

久しぶりに飲み会で胸キュンした。

やっぱりカンニング竹山のすべらず切ない話は滑稽なのだ

こんにちは、ゲイブロガー(@gay_nazo)です。

 

僕は同性愛者です。

男性が好きなんですよね。

実際に恋もしたり、お付き合いしたり、肉体関係があったり。

 

そんな僕自身、この記事にはとても共感したのであります。 

azanaerunawano5to4.hatenablog.com

 

やっぱりね、おかしいんですよ。

竹山氏が話していたそれは、笑えるネタ。

 

ゲイの人、オカマの人って、そんなに受け入れられるものなのか。

もっと社会から離れた場所で、ひっそり生きているものではないのか。

 

人間の生きている意味の中に、子孫繁栄というものがあるとすれば。

同性愛からは、何も生まれないのです。

マイノリティを主張する人もいますが、それが正しい訳ではない。

 

ただ、何も言わないマジョリティ集団にずけすけ乗り込んできて、大きな声をあげているだけに過ぎない。

 

竹山氏が「愛していた」と言われたときの「愛」ってのは、恋愛感情でしょ。

それを家族に言えるという環境も、その相手が竹山氏だったということもおかしい。

竹山氏は既婚者なのですから。

 

僕か故人側の立場で、どうしてもそれを伝えたいのであれば。

こっそりと「こんなことを言っていたことを思い出すよ」程度にしておくだろう。

 

家族を若くして失った人の感情というものはあるにせよ。

やはり、同性愛というのは受け入れられないもの、おかしいものなんです。

 

でも、そのおかしい中で悩みながら生きていくところに、同性愛者である強みがあるのだと思いますが。

悲劇のヒロインが大きな声を出すと、ちょっと意識の高い人たちが集まり出す。

同じく大きな声で、差別だ、差別だと言うんです。

 

同性愛者という考え方が、社会的には必要だとは思います。

「違った意見、違った考えを持っている人」ということです。

だからといって、同性愛者が認められたり、社会でノビノビ生きていける環境というのは必要ない。

次の世代につながるものが無いから。

 

差別される世の中であってもいいんですよね。

ただ、同性愛という考え方があり、同性愛者が少なからずいるんだ。

ということを分かってもらえれば。

 

おおっぴらにしたり、声高らかに宣言したり、デモ運動をしたり。

そういうのは、ちょっと違う気がします。

 

同性愛者が共存できる社会、同性愛者が認められる社会。

それが正義だと思っていませんか。

それは、もっと小さな、閉鎖的なコミュニティであれば、そこで認められればいい。

 

共存できないし、認められない。

その認識をみんなが持ってくれることが、一番なんだと思います。

ゲイの半分は恋愛への手抜き

こんにちは、ゲイブロガー(@gay_nazo)です。

 

ゲイとして生きるハードルは高いか、低いか。

 

特に恋愛面において言うなら、ゲイの恋愛はハードルが低い。

女性相手に恋愛するよりも、簡単だ。

 

ゲイのコミュニティサイト。

メンズなんちゃら、ボーイズなんちゃら

のようなゲイサイトには、必ず出会い掲示板がある。

 

今夜遊べませんか、飲みに行きませんか。

という内容から、肉体関係を求める内容まで。

 

条件が合っていれば、すぐに会うことができるし、肉体的な接触もできるのが事実。

 

この場合の条件というのも。

年齢や体形、居住地や車、場所の有無。

男役か女役か、そういった内容が合えば。

 

だからゲイの出会い系は楽勝もの。

ムラムラしてきたら、そういうところに書き込んで、5~6往復メールをすれば、もうベッドの中ということだ。

 

またお互いにセクシャルマイノリティという認識があるので、結束も強く。

恋愛対象者が少ないのもあり、付き合うのは簡単。

だって相手はお互いにとってレアキャラだから。

 

そういう意味ではゲイの恋愛なんて、たいしたことない。

よっぽど女性と会い、女性とお付き合いをし、女性と肉体関係を持つ方がハードルが高い。

 

ゲイの人に聞きたい。

本当にゲイなのだろうか。

女性と付き合えない、そこまで努力できない。

だから、ゲイであればチヤホヤされる、ラクチンだから。

というような感覚はないだろうか。

 

僕はゲイといっても、男女ともに愛せるバイセクシャルなので。

余計にそれを感じてしまう。

どちらかというと、男が好きなタイミングのときは、発散させる相手がほしいだけ。

手間もお金もかけずに楽しみたいとき。

 

とういうことが多い。

義理と本命のような感覚だ。

 

ゲイは恋愛の手抜き。

出会いだけの問題ではなく。

家に行ったり、車に乗せてもらったりすると、汚い。

不潔さが漂ってくる。

その不潔さと快感を天秤にかけると、快感のほうが増すから。

だから行くだけで、通常の付き合いにはならない。

 

もっとも民度の高いゲイは出会い系、アプリ、掲示板などは使わないのかもしれないけれど。

 

ノンケ(=ゲイじゃない男性)だったとしても、一方的に楽しませてくれと書き込めば、すぐに相手が見つかる。

たっぷり気持ちよくしてくれるよ、お金も払わずに。

というくらい、ゲイの恋愛ハードルは低いのだ。

世の中にゲイが増えると、居心地が悪い

こんにちは、ゲイブロガーです。

 

昨晩、普通のバーで、ゲイについて語ってきました。

ゲイの存在について比較的受け入れられる。

それがどことなく息苦しく感じる。

 

僕自身が考えるゲイのあり方。

ベースの考え方、ゲイは間違っている。

世の中的に考えて、ゲイは受け入れられないものだと思う。

その受け入れられないハードルを越えてでも好きだ。

というのが、僕にとっては素敵なことであって。

それだけの強い気持ちがないと、ゲイなんてやっていられない。

 

まだまだ社会にとっては、うまくいかないことが多い。

世の中は男女で成り立っている。

成り立っているからこそ、そういったルールで世の中が動いている。

 

ゲイのハードルが下がれば、にわかゲイが増える。

それが一番の問題なのだ。

ゲイが増えてほしいとは思わないから。

 

にわかゲイが増えると、マナーを守らない人が増える。

ゲイという存在は、もっと神聖なものなのだ。

決して崇めろ、敬えということではない。

 

ある程度の関係、環境を断ち切ってでも、ゲイとして生きていく。

というような覚悟が伴うもの。

 

だからこそ、覚悟の無いゲイ=にわかゲイはやめたほうがいい。

世間一般から受け入れられなくていいのだ。

ロリコン教師と生徒の恋愛のようなもの。

おおっぴらにしないこと、おおっぴらにできないことが、美徳のようなもの。

 

ゲイであることをオープンにできる環境。

果たしてそれは良いことなのだろうか。

適度な距離で、ネットの向こう側にいるゲイと、目の前にいるゲイでは。

大きく環境が違う。

 

ゲイであることをネタにする人もいれば、それをダシに使われることもある。

好き嫌い、考え方、人それぞれだが、個人的にはゲイが受け入れられるのは居心地が悪い。

僕がゲイだと気づいたとき

いつの間にかゲイだった、ゲイブロガーです。

 

小学生の時、カッコイイ先輩を追いかけていました。

武田くんだったと記憶しています。

 

いつからか、男が好きということに抵抗がなくなり。

やっぱり男の人が好きだったんだなぁと、改めて実感。

 

どこかで周囲の仲間とは違うのかもしれない。

そんな気がしていました。

 

好きなタイプで言えば、中世的なタイプ。

ゴリゴリの男前は苦手なんで、どこかで女性らしさを求めているのかもしれません。

暑苦しくない程度の男性が、すごくタイプなんですよね。

 

抱きしめられたいとか、キスしたいとか、いちゃいちゃしたいとか。

そういうことを抵抗なく思えるようになった今は、ゲイ/バイなんだと思っています。

 

周囲にカムアウトはしていませんが、何となく気付いているでしょう。

会話のところどころでは、男が好きというニュアンスのことは言っているし。

オレ、ゲイだから。なーんていうことも。

冗談でしょと片付けられるけれども、真意のほどは。

 

そんな僕が、どこかでモヤモヤしている気持ち。

最近の性に対する寛容性や、ゲイとしての生き方。

 

どこかでモヤモヤしているので、それについてどんどん言いたい。

質問等あれば、お待ちしています。

ごあいさつ

初めまして、ゲイブロガーです。

最近、LGBTが広く認知されているような気がします。

 

ゲイという存在を認めてもらっている気がします。

※受け入れてもらうというわけではない

 

ゲイの気持ち、ゲイのいろいろを包み隠さずお伝えできればと思いまして。

過激な表現については、別のブログにて書いていく予定ですのでご安心ください。

 

30歳という区切りで、何かしら役に立つことができればと。

気になる方は、ガンガン絡んでくださいませ。

 

末永くよろしくお願いいたします。